地球の表面でボケとツッコミを叫んだケモノ
コッくん「どうもー。コッくんでーす」
プッくん「プッくんでーす」
二人「コッくんプッくんでーす」
プッくん「いやしかし今日もいい天気ですな」
コッくん「そうですな」
プッくん「今日も太陽が東から上りましたな」
コッくん「そうですな」
プッくん「やっぱあれですかね、太陽って空にへばりついてるんですかね」
コッくん「それ見たまんまですやん」
プッくん「きっと星とかも空にへばりついてるんでっせ」
コッくん「それも見たまんまですやん」
プッくん「月とかも空からつるされてるんでっせ」
コッくん「ちょ、なんでやねん」
プッくん「あれ半分ずつ色が違ってそれがぐるぐる回ってるんでっせ」
コッくん「どこの場末のキャバクラやねん!」
プッくん「シャッチョさーん、カワイイ子いるよータクサンいるよー」
コッくん「お、ええな、ちょっとよってこか」
プッくん「どうーもー、ワタシ、河合衣子(かわいいこ)でーす」
コッくん「どこがかわいいねん!名前だけや!」
プッくん「ハジメマシテ、ワタシ、タクデス」
コッくん「東南アジアか!思わずタカトシ突っ込みしてしもたやんけ」
プッくん「どうでっかシャッチョさんーカワイイ子タクサンいたでしょ!」
コッくん「おらんやん!逆にそんなキャバクラレアやわ!」
プッくん「お代は10万いただきまーす」
コッくん「どんだけぼったくりやねん!」
プッくん「10万ペソいただきまーす」
コッくん「逆にもっとらんわ!」
プッくん「まぁそれはいいんですけど」
コッくん「ええんかい!」
プッくん「とにかく星とか空にへばりついとるんですわ」
コッくん「でもそれ君おかしいで」
プッくん「なんでですのん」
コッくん「惑星てあるやん。あれなんで時々変な動きすんのん。
あいつら時々進行方向変えよるで」
プッくん「そら君、あれですわ。惑星て空で見えない糸で振り回されとるんですわ」
コッくん「そうなんや」
プッくん「空まわりつつさらに小さくまわってるんですわ」
コッくん「でもそれやっぱ君おかしいで」
プッくん「おかしいおかしいて君さっきからそればっかりですやん」
コッくん「おかしいもんはおかしいからしゃあない」
プッくん「じゃ君どう考えますのん」
コッくん「地面がていうか地球が動いとります」
プッくん「ええぇぇ!君それボケすぎちゃいますのん」
コッくん「でもそう考えたほうが簡単やねん」
プッくん「あぁあぁ、とうとう頭おかしくなってもうたわこの人」
コッくん「あ、そうそう」
プッくん「なんですのん」
コッくん「地球が動くて本出しましたけど、明日、僕死にますわ。オーマイガー」
プッくん「絡みづらいわ!」
コッくんプッくんさんでした。ありがとうございましたー。
…うわーオープニング漫才長くなりすぎた。
さて、この漫才、一見ただの漫才に見えるが(?)実のところ科学というものは
こういうもの(?)なのである。
いやいやいや、冗談のようではあるが実際そういう部分あるって。
もうお分かりいただいているとは思うが、これ、天動説と地動説である。
天動説も地動説も「仮説」なのである。
結論から言うと仮説というのはつまるところ、ボケである。
なんだってー!!!
そしてそれに対して反証を試みる。まさに突っ込み。
科学はこのようにして2000年以上にわたるボケとツッコミの歴史の上に
存在しているのだ。
そこらの芸人のゲイ暦、もとい芸暦なんぞ問題にならないよな。
我々が時に驚嘆し、時に嫌悪する科学の本質!それはボケとツッコミだった!
では科学と漫才の違いとは何か。
…いや、いろいろ違うのは当然なんだけどさ。
実のところ科学で突っ込める範囲というものは漫才より狭い。
たとえば誰かがこういうボケをした(仮説を出した)としよう。
「人類はザリガニ神によって作り出された知的生命体だ!」
…絡みづらいわ。ていうかどこから突っ込んだらいいかわからん。
大体ザリガニ神て何やねんザリガニ神て。
漫才ですら絡みにくいネタにどう科学的に返せばいいって言うのか。
返せない。大体つっこみようのないボケは芸人殺しだろ。
芸人だってボケとツッコミなくてオカルトチックなことTVでほざいてたら
さくっと干されるだろ。
…え、最近は干されないの?むしろオカルトを芸にしてる奴が多数いる?
うわぁ…時代は変わったなぁ…
科学の問題ってのはそこにもあるのかもなぁ。
つっこんで!つっこんで!つっこみ抜いてぇ!
見事ツッコミオブツッコミになったものが科学史を築きあげてきたわけだけど、
その突っ込みにあまりにも愛がなさ過ぎたのかもなぁ。
愛がない突っ込みていじめになりかねないからな。
いやまぁ根本的な問題として、ボケと突っ込みだったネタがいろいろ現実に
経済活動やら政治やら左右するようになっちまったわけで。
太○光が本当に総理大臣になっちまったようなもんだ。
ボケられないだろそうなったら。現実って奴が一番のボケ殺し。
そら辞めたくなるし胃腸も悪くなるし入院もするわ。
そしてコンピュータの登場が愛のないツッコミを加速させる。
コンピュータは単純なツッコミをすごい速度で行うことができるわけで。
かつてオイラーという天才が行った超高速突っ込み「近似解の算出」を
すさまじい速度で行い、片っ端から仮説を(強引に)検証しはじめた。
インターネットの影響力もでかい。
ひとつのボケ(仮説)に対し数千のツッコミ(反証)が入るという時代は
実にボケ殺しであるといえるだろう。
ボケも的確にボケないと生き残れない。いやな時代だ。
みんなたまにはボケろよ!ツッコミばっかりすんなよ!頼むよ!
さて我々、ここまで立派になってしまった科学という名のボケと突っ込みを
どう扱えばいいのだろうか?
時にあまりにも残酷な突っ込みをこの世界に入れつづける科学を。
…それでもボケてボケて、突っ込み続けるしかないと私は思う。
ほんのちょっとの愛を加えて。
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